久しぶりの書き込みです。
これまで私は、今の作風に至るまでの経緯をいくつかのポイントに分けて語ってきました。
今回、それらをすべてまとめて語っていけたらと思う。
・・・
私がまだ右も左もわからない陶芸初心者だった頃、当時仲良くさせて頂いていた人が持っていた備前焼の作品に心惹かれていました。
当時、その魅力に明確な理由がわからなかったものの、何か特別なものを感じていました。
時が経ち、私が20代後半の頃だったか、自分の作品(当時はマット釉薬を刷毛で塗った白磁の作品だったかな。)を東京のギャラリーに持ち込み、
チャンスを掴もうと奮闘していました。しかし、その当時は自分の方向性に迷いがありました。アーティストとしての陶芸活動を主体にするのか、
それとも、普段使いの器を作る陶芸家になるのか・・とても悩んでいたことを記憶している。
そんなある日、東京の某ギャラリーオーナーから投げかけられた深遠な問いが私を打ちのめしました。
「君はどんな理由で磁器作品を作っているのかい?」
その問いに答えることができず、悔しさと挫折感でいっぱいになりました・・。その時の心情は今でも忘れることができません。
ただ有田へ帰りたいという気持ちだけが頭にありました。。
しばらく経った後のある日、
再び上京し、偶然立ち寄った陶芸ギャラリーで、黒田泰蔵さんの白磁に出会いました。
その瞬間、私の心が開けたようでした。黒田さんの白磁はシンプル且シャープで、釉薬が掛かっていない焼き締めの美しい白磁でした。
そして、過去に備前焼の作品に魅かれた感情が、黒田さんの白磁作品を通じて理解できたことに気付きました。
私は「素材そのものの美しさ」に魅了されていたのです。
帰り際に黒田さんの器を1つ購入し、有田へと帰りました。
そして、「磁器作品を作る理由をここから創り出していこう!」と強く思うようになりました。
その後、自分自身の正解を見つけるために、作品を作り上げる過程すべてに疑問符を打ち、ゼロから学び直す作業を始めました。同時に、
有田焼の歴史も深く学び直すことも始めました。釉薬の必要性や陶器と磁器の違いなど、当たり前とされることにも疑問符をつけて学び直しました。
黒田さんの作品は釉薬が掛かっておらず、磁器素材そのものの美しさが際立っていました。しかし、食の器は違いました。
私が購入した器もそうですが、器としての作品にはすべて透明な釉薬が薄く掛かっていてわずかに光沢がありました。
理由は汚れ防止の実用性のためかもしれません。
「美を取るのか、実用性を優先するのか・・」天秤にかけられた状態・・・。
しかし、私は欲張りだ。例え食の器であっても素材そのものの美も欲しいし、汚れない実用性も欲しい!
だけど・・・あり得るのかそんなこと・・・・。
葛藤が続きました。。
月日が経ち2010年頃、
当時の有田は、6年後の2016年に有田焼創業400年という節目を迎えようとした頃でした。この節目に何か新しいことが生まれるのか、
昔の有田焼を復刻、完全再現しようか?様々な案が飛び交い、町中が新たなビジネスチャンスに期待しているようだった。
この時の私は、400年という節目をただのビジネスチャンスを追い求めるだけのものとしてではなく、自己成長の機会と捉えていました。
しかし、簡単に努力が報われることはありません・・・。何も変わらない日々が過ぎていくだけでした。
この何も変わらない日々に腹立たしさを感じていました。それでも、冷静さを保ち、制作する上での自身の正解、有田焼の歴史の再学習と、
自分を変えるために努力し続けました。
変わらない日々が続くある日のことでした。
いつものように有田焼の歴史を学習していた時です。
有田焼は日本初の磁器作品が生まれた場所で、その起源は韓国人陶工が良質な磁器素材を発見したことに始まります。
この事実は町の人々に良く知られています。
しかし、私は1つの疑問を持ちました。釉薬も当時と変わらず同じものが使われているのか?もちろん、そのようなことはなく、
むしろ、その間に数多くの新しい釉薬が科学的視点から開発され進化されてきた。現代では釉薬の種類が豊富でその多様性は驚くべきほどです。
「では磁器素材はどうだろうか?」
長い間、私たちは磁器素材が「形を作るためだけの材料」として接してきたのではないだろうか?
これって固定概念に囚われている可能性がないだろうか??
もしかしたら、磁器素材の成分を科学的視点で見ると何か新しい発見があるかもしれない・・・
私の頭に、ひらめきに似た感情が広がっていくのを感じました。
その後、化学的な調査を行った結果、
釉薬の代わりになる可能性のある成分を見つけました。最初は大発見だと思いましたが、
後でその成分は既知のもので、鉱物学視点から見るとよく知られていることが判明しました。
しかし、釉薬としての利用を模索するアイデアはこれまでに誰一人といなかったようです。
月日が経ち、運命的な瞬間が訪れました。
小さな酒杯をテストピースとし、その釉薬に新たな可能性を願い窯に積みました。
後日、窯を開けた瞬間、私は興奮と驚きの声をあげました。
「すごい!」
初めて目にした酒杯のテストピースは私の予想をはるかに超えたものでした。
それはマットな質感と同時に、まるでシルクのような優美な光沢を纏っていました。
この美しさは約400年以上前から存在していたが、誰もが見過ごしていた隠れた宝石のように感じました。
その後、この釉薬を使った作品を日本伝統工芸展(陶芸、染織、木竹工など7部門による工芸の異種格闘技戦みたいなコンテスト)
で初めて発表し、日本工芸会奨励賞を頂きました。
また、食の器としての実用性を検証していきました。
結果として、この釉薬は器として使用しても汚れないことが確認されました。
これは、釉薬の粒子が非常に小さく、そのサイズは従来の釉薬の1/100程度。
それらが表面を纏っているので汚れが残る余地がないのです。
「美を取るのか、それとも実用性を取るのか?」
欲張りな私はその両方を欲しました。苦労、葛藤の日々を経て、最終的には両方を手に入れることができました。
この新しい出来事は、私の磁器素材に対する感情に変化をもたらしました。
最初は単なる美しい素材に過ぎなかった。
しかし、時間が経つにつれて、これが宝石のように希少で魅力的な素材であることに気付いていきました。
「磁器素材が形を成すと、それは純白で美しい存在となり、
釉薬として使用すると、常に優雅でシルクのように輝いた。」
私にとってそれは何か特別なものであると感じさせてくれた。
それ以降、磁器素材への情熱が私の作品に大きな影響を与えるようになりました。
美しさや希少性を持つ宝石のような素材を使用することが、私の作品に独自の価値を与えている。
また、私の作品を通じて、人々の心を穏やかに癒すことを願うようになりました。
「君はどんな理由で磁器作品を作っているのか?」
今ならその問に答えられるだろう・・。
そして現在。
数年前までと向き合い方が少し変わりました。
以前は磁器素材から釉薬に代わる成分を取り出して使用していましたが、
今はそれを行っていません。
これには大きな理由があります。
磁器素材から取り出した残りの素材は、磁土として再利用できなかったのです。
そのため、すべて廃棄しなければなりませんでした。
当初はこの方法しか選択肢がなく、仕方がないことと思っていましたが、
改めて考えてみると、実にもったいないことをしていると感じるようになりました。
磁器素材の抱える問題として枯渇問題があります。
この枯渇問題と関連して、磁器素材を採石する後継者の課題も存在しています。
美しさのために貴重な資源を浪費することは許容できないと考えるようになりました。
現在、その成分をより詳細に調べ、同様の成分素材を自然界から見つけ出し、それを釉薬して利用しています。
それは、最初の方法で取り出していた釉薬と全く同じ輝きで、かつ、汚れません。
ですが、この同じような素材も枯渇してしまい入手困難となりました・・。
厳密に言えば、まだ存在します・・・例えば、
牛肉は、佐賀牛、神戸牛、アンガス牛、オージービーフなどなど様々な種類があります。
同じ牛肉でも国や産地によって味わいが異なると考えてください。
その中の1つの産地の肉牛が絶滅したような感じです。他の産地では同じような味わいを再現することが不可能。
ややこしい例えですが・・・そんな感じなのです。
しかし、
安心してください!私はすでに100年分の素材を確保していますから!!
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久しぶりの更新で、長文に少し疲れました。。
これが、庄村久喜が今の作風になった真の経緯でした。
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