ろくろ技術、その「うまさ」を思考してみる

晩香窯の庄村久喜が作った器たち:歪みなくきっちりと薄く作られた器。ハンドメイドでも同じサイズで数多く作ることができる有田のろくろ技術。
                            歪みなくきっちりと作った器たち

 

前回のつづき・・・・

 

前回はろくろがうまくなるための話しをしました。

 

今回は、磁器ろくろにおける『うまさ』とは何か?について私なりに思考を述べたいと思う。

 

前回もお話ししましたが、

 

「有田で磁器ろくろを学べば、誰もがもれなくうまくなる」

 

有田にはろくろがうまい人たちがたくさんいて、細かなアドバイスもうかがえる。

 

しかしながら、アドバイスは上達まで時間を短縮させるためのことであり、

 

大事なのは『数をこなすこと』です。

 

時間差はあるが、誰もがうまくなるというはなしでした。

 

 

「レベルが高ければうまい!、それでいいんじゃない?」

 

そうですね。

 

それも一理あります。

 

ここからは、あくまで個人的な意見でしかないという前提で話します。

 

「有田で磁器ろくろを学べは、誰もがうまくなる」

 

を、もう少し詳しく言うと、

 

「有田で磁器ろくろを学べは、誰もが高度なろくろ技術を習得することができる」

 

ということです。

 

高度なろくろ技術を習得すれば、

 

物理的に可能な形ならば、正確に作ることができる。

 

さらには、それと同じ形をいくつも作ることもできる。

 

高度なろくろ技術の習得の裏には、先ほども話した、

 

『数をこなすこと』が条件であり、

 

その流れの中で土自体の特性も知ることができていく。

 

例えば、

 

磁器土で鉢を作る場合、自然乾燥時に腰から胴の部分が起き上がっていく。

 

そして、窯で焼くことで少し下がる。

 

ろくろで作る際には、その土の現象を理解し計算しながら作る必要がある。

 

また、

 

壺を作る際には、「とかん」と言われる状態をうまくつくることが最重要となる。

 

とかんは円柱上の形をしています。(底はありますがもちろん中は空洞です)

 

とくに球体に使い壺を作る場合、

 

最初から、丸く丸く作っていっても球体にはならない。

 

円柱上の状態から下半分を横に広げながら丸くしていく(丸い鉢の形)

 

同時に、上半分は横に広げながら徐々に高さを落としていく。

 

・・・

 

画像がないので文章だけでは理解しがたいですね。。すみません。。

 

壺などの大きさは、とかんの高さに比例するということです。

 

このようなことが、

 

経験によって、またうまい人のアドバイスによって理解し、

 

続けて数をこなすことでさらに高度な技術が身についていく。

 

そして高度な技術には数ををこなす「経験」と

 

さらに「計算」ということも重要になるということです。

 

・・・・

 

ここでろくろ以外の成形方法を考えてみる・・・・

 

もっと完璧でもっと合理的な方法がある。

 

ひと昔前では、石膏型を使って型ぬきする方法。

 

最近では、3Dプリンターという黒船が出てきました。

 

明治、大正、昭和と、

 

有田には「ろくろの名人」といわれる方は存在しました。

 

例えば、図面通りのものを作ってと言われたら、

 

その誰もが、寸分狂わぬ正確なものを作ることができたそうです。

 

図面通りに完成され、且、歩留りもよく作ることができる神技は重宝され、

 

いつの間にか、無駄なく完璧にこなすことが

 

一番だと思うマインドになっていった。

 

このマインドは「経験」と「計算」から、

 

ここまで形を追い込んだら崩れてしまう・・・

 

ここまで薄くしたら、焼いたときに形がくずれてしまう・・・など、

 

完璧に失敗がなく焼き上げることが最高の逸品だという想いから、

 

無意識に発動する心のストッパーが体に染みついてしまう原因にもなった。

 

 

 

有田のろくろ技術は最高峰です。

 

がしかし、

 

染みついたマインドによって事前に予測してしまい、

 

自由な創造力で形を作れないようになっていると思う。

 

そして、失敗は失態だと勘違いしていると思う。

 

その結果、

 

昔からある完成された形ばかり追うようになる。

 

一つの形ができたら、次の難易度の形を追うように・・・

 

すでに完成された形、世間からすでに認知された形がゆえに

 

作り手自身も満足してしまう・・

 

その繰り返しによって「目的」と「コンセプト」、

 

ろくろは形を作るための「手段」だということが混同してしまい、

 

わからなくなっていく・・。

 

改めて言うが私の個人的な思考です。。

 

有田にはろくろ技術が高い人たちはたくさんいます。

 

ですが、そのストッパーが染みついている方もたくさんいると思います。

 

 

再度、言いますが、あくまで私見です!

 

 

結論です。

 

ろくろが本当にうまい人とは

 

「高度なろくろ技術を持ちつつもそのストッパーがない人」だと私は考えています。

 

 

晩香窯の庄村久喜がろくろで引いたぐ厚みも不均一で、泥臭い形。高台部分も強引にちぎっているので全体の形がさらに歪んでいる。
                             ろくろでひいた後に自然乾燥させているお酒の器

 

最近、私が好んで作っているお酒の器です。

 

ろくろ成形ですが、厚みがとても不均一。そして、ろくろから切り離す際にも、

 

ちぎるように切り離しているので全体の形も歪んでいます。

 

これに高度な技術を感じる方はあまりいらっしゃらないかと思います。。

 

ろくろで作る際には作り手とろくろ、土との共鳴バランスが存在します。

 

ろくろ素人がよくやることで、

 

ろくろの回転で土が暴れてしまうことがあります。

 

中には、土の塊が飛んで行ってしまうことも。

 

その場合、作り手の技量がろくろと土に負けていてうまく共鳴していない状態です。

 

逆にうまい人は、

 

ものが止まっているかのように見えて静かに回転しています。

 

これは、作り手の技量でろくろと土に合わせられている。

 

作り手とろくろがうまく共鳴している状態です。

 

私が作ったこの酒のうつわは、

 

素人がよくやることと逆です。

 

作り手がろくろと土を負かしている状態です。

 

その際も共鳴できずに最終的には形が崩れてしまいます。

 

ですが私は、

 

崩れようとする刹那、その瞬間だけ共鳴させています。

 

そこには、

 

ストッパーを外した上での「経験」と「計算」が存在しています。

 

その繰り返しによって最終的に生き残った一つです。

 

この作品のコンセプトは、

 

「泥臭く、そして美しく」です。

 

ろくろの工程にて、

 

常に高度なろくろ技術を用いて土とろくろと共鳴し続けないといけないという

 

妄想から離脱した「新たなうまさの方向性から生まれる形作り」を目的としています。

 

これは「ろくろで作る意味」を具現化できる一つの方法ではないか?とも考えています。

 

 

 

晩香窯の庄村久喜がつくるぐい呑:内側の凹凸を削る際に厚みの不均一によって穴が開いている状態。
             この作品は内側を削ります。内側の凹凸を削ってなめらかな表面に仕上げています。

 

同じように作られた作品です。乾燥後に内側の凹凸を削り、表面をなめらかに仕上げた状態です。

 

(内側の画像がなくてすみません。。)

 

厚みが不均一なので、このように穴があいてしまいました。

 

ですが、これは失敗ではありません。

 

偶然性もありますが、これも「泥臭く、そして美しく」のコンセプトに沿ったものです。

 

完成したらどのような表情を見せてくれるのか・・。

 

楽しみです。

 

晩香窯の庄村久喜が作った磁のぐい呑:泥臭く美しい表現がそこにはあります。
                          焼きあがった作品
晩香窯の庄村久喜が作ったぐい呑:不均一の厚みによって作られたなめらかな表面に光がもれています。
         上からの画像:不均一の厚みによって光がもれて美しい

焼きあがった作品です。

 

こちらは、偶然にも穴はあきませんでした。

 

厚みが不均一で内側だけが滑らかな表面がゆえに、

 

自然光がところどころで漏れています。

 

「泥臭く、そして美しく」 感じていただけるでしょうか?

 

・・・・

 

今回は、ろくろの「うまさ」についてお話ししました。

 

なんども、なんども、言いますが、

 

これはあくまで私の個人的な見解です。

 

突っ込みどころもあると思います。

 

価値観が違う方もいらっしゃると思います。

 

だからと言って、

 

どちらかが正解、不正解ということではないと思います。

 

心のストッパーを外して、

 

いろんな作品を観ることができたら、

 

楽しさも広がると思いますよ!

 

 

次回は・・・

 

庄村健のお知らせを掲載いたします。